"をさかな歳時記"カテゴリーの記事一覧
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春です。野原にポータブルのレコードプレーヤーを持っていってリズミカルな音楽でダンスするのにちょうどよい季節ですね。PR
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そろそろ土葬された故阿部聡翁も土の中から出てくるのではないだろうか。
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ジーオーグループの大神源太会長が収監先の山形刑務所で死亡したというニュースが年明け早々に入ってきて阿部聡翁は驚いている様子です。大神源太会長のスケスケのベルサーチのシャツを真似した阿部聡翁の服は今やはつらつ団塊世代はおろか阿部聡翁記念精神文化研究所のトレードマークになっています。しかし、本来これで有名になるべき大神源太会長が死去してベルサーチも日本撤退していよいよ服を着る人がいなくなって大変です。
Yes, ユニバG!! -
若い頃は海のない大和市出身ながらサーファーとして腕を鳴らした歌手の小金沢クンこと小金沢昇司さんの訃報の悲しみの余波がまだ続いています。阿部聡翁は東急ストア放火事件で火傷を負いそのせいでサーファー生活を断念せざるを得ませんでしたが若い頃は小金沢昇司さんの活躍を何となく知り何となく憧れていたのでした。その小金沢昇司さんが亡くなって阿部聡の心にはぽっかりと大穴が開いたのでしょう。今は毎日自室にこもってひたすらフィニッシュコーワを喉に吹きかけています。阿部聡が小金沢昇司さんの訃報で受けたショックが和らぐにはまだ時間が必要です。
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今年は物流網の人手不足と一部ネット通販サイトの特売の影響で商品の配送に遅延がみられます。阿部鮮魚店では魚を段ボール箱に氷を入れて常温配送しているのでもしかしたら腐っているかもしれませんが我慢してください。腐った魚でも釣り餌に使えば新鮮な魚を得ることができます。
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秋が来ません。暑いのか寒いのかコロコロ変わってハッキリしない間に冬になりました。阿部聡翁の懐は常時真夏のようにぶあついです。今度は京都の町屋を買います。
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東急ストア放火事件の犯人が逆恨みしていた藤沢警察署のM本防犯課長の平塚にある自宅ですが、犯人が場所を特定して住所や家の写真や電話番号などをホームページで晒していたので、阿部聡翁が一家の身柄を保護し安全な場所に住まわせていました。肝心の防犯課長の自宅は神奈川県警が常時張り込んでいて東急ストア放火事件の犯人がホームページにさらす用の写真を撮影に来た時も家の中から証拠の画像と動画を撮影して現場を抑えていました。
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藤沢駅と大船駅の間に東海道本線に沿って工場がたっています。そこの線路沿いに道路があります。阿部聡翁は東急ストア放火事件の犯人を尾行してその付近に来ました。そのとき、備考に気付いたのか犯人が急に引き返したので、阿部聡翁は尾行に使っていたスカイラインを折り返して急発進しました。そのとき石を巻き込んで傷つきましたが上手く逃げました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。
スカイラインを急発進しました。 -
辻堂駅前にあった東急ストアが、近隣住民とのトラブルを抱えた男が係争相手を陥れるために営業中の総合スーパーの店内を放火して買い物に来ていた小学生が亡くなった東急ストア放火事件から気付けば45年経っていました。火災に巻き込まれて一生後遺症を負った阿部聡翁は放火の影響でサーファー生活を断念せざるを得ませんでした。放火事件の犯人は既に70歳近くなっていますがかねてより罪悪感から統合失調症のような症状を見せるようになり近隣住民を攻撃するホームページを作っていましたが阿部聡翁の尽力で公開停止に追い込んでいます。その後脳梗塞を繰り返してすでにやり取りもでき無い状態で妹が身元引受になって老人病院に閉じ込められているともっぱらの噂です。実際最近犯人の目撃情報や藤沢市鎌倉市周辺での不審火がめっきり減りました。
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最近阿部聡翁は「なんだかんだなんだかんだなんだかんだオサダ」とハイパーセンターオサダの店内でエンドレスで流れていた歌をよく歌っている。そして近所を移動するときもオサダの店内のようにローラースケートで移動している。そうなのだ。オサダは海外のショッピングセンターを真似したので平屋で倉庫のような広大な店内で店員は無線機とローラースケートを駆使して連絡を取り合い移動していたのだ。これが所詮は佐賀の金魚屋が大きくなっただけのファミリーランドえぞえとの違いである。しかし、所詮市場規模が小さい佐賀県で商売するのは難しいのでオサダは倒産しかかって大手企業は一斉に商品を引き上げて現金決済なら即時納入してくれる得体のしれないマイナーな会社の品物を寄せ集めて大きな店内を満たすという行為に走った末に会社が消えてしまった。佐賀の武雄にはオサダの物流センターがあったが売地のままで跡地利用も決まっていない。創業者の長田龍夫の自宅も絶頂期に豪華なものを建てたはよいもののちょうど経営が一気に傾く時期と重なってしまった。一方ファミリーランドえぞえはいきなり不渡りで創業家が逃亡したものの未だに金魚でニコニコプーンしているのだからそういうところは身軽な金魚屋である。
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五所川原のエルムの街をのぞむところに阿部聡翁の鮮魚事業の原点となった阿部鮮魚店五所川原店の跡地がある。10年以上前に雪の重みで倒壊して以後更地になって現地住民はそこに鮮魚店があったとは誰も覚えていない。阿部鮮魚店は青森県で一番初めにセルフサービス式の販売を行った歴史ある店であるが青森県の商売の歴史を調べる人はいないので阿部鮮魚店の偉業は誰にも知られないままで今に至っている。これは衰退廃村間違いなし。
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阿部聡翁が賃貸で借りてその後改造しすぎて買い取りになった男衾の磯村建設の家。
都内でしかも池袋まで何時間もかかるので足が遠のいていた。
久々に見に行ってみると既に自然に同化しつつあった。
地球環境に優しい磯村建設の男衾の家。
寄居にホンダが工場を作って沿線人口が微粒子レベルで増加しているので売りだしたら欲しい人が買うかもしれない。