忍者ブログ

はつらつ団塊世代!東急ストア放火事件犯人ハンター

2007年6月30日開始の老舗ブログです。阿部聡記念精神文化研究所創設者阿部翁はホームレスから青森県五所川原市で阿部鮮魚店を開店し、ネットを通して鮮魚販売を世界中で手広く行ったパイオニアでした。1978年の東急ストア辻堂店火災を起こした藤沢市在住の男は罪を近隣住民のせいにして放火を繰り返しインターネットでデマを流布して逃亡を続けています!阿部翁は東急ストア放火事件で負傷し今も警察と連携して犯人を監視追跡しています。

シリーズ・政権交代と不況を考える
 「秘湯ブームとかマスコミは騒いでいるけど、この辺にはさっぱり恩恵が無いね」。そう語るのは温泉街で観光客相手の写真屋を営む渡辺与一さん(61)。渡辺さんはこの日も観光客のスナップ写真や団体写真の撮影を日中にこなし、夜にはホテルや旅館の宴会場で団体客の写真撮影をこなす。

 写真屋の経営は厳しい。かつてこの街も県内有数の温泉街として栄え団体旅行や企業の研修や接待などでも利用されたのだが、海外旅行の低価格化と不景気による企業客の激減、宿泊施設の老朽化などの影響で廃業が相次いでいる。また、デジタルカメラの普及でフィルムの写真自体が敬遠されるために仕事の無い日もある。少ない収入だが子供たちが既に自立しているのがせめてもの救いだ。

 渡辺さんはかつては戦場カメラマンだった。高校卒業後、東京にある写真の専門学校で技術を習得した。時代はベトナム戦争真っ盛り。渡辺さんは自分の活躍の道を戦場に見出したのだった。写真は撮れば撮るほど売れた。当時は情報源自体が少なく、最前線の情報を誰もが渇望していたのである。しかし、5年もしないうちにベトナム戦争は終結。その後の戦争は話題性の薄い紛争レベルのもので、どれだけ写真を撮ってきても収入は目に見えて激減した。さらに追い討ちをかけるように冷戦のイデオロギー対決が終結し、2003年のイラク戦争が終結して以来渡辺さんの仕事はゼロになってしまった。今は専門学校時代の同級生の世話で帰国のたびにアルバイトをしていた温泉街の写真屋の仕事をしている。

 「政府は私たち市民の生活に関心をまったく払っていない。戦場カメラマンが失業しないような社会システムを早く整備してほしい」。日中ですら観光客がまばらな温泉街を暇そうに眺めながら渡辺さんはこうつぶやく。2009年の衆院選では兵器産業の労組にコネクションを持つ民主党に投票した。自民党政権が野党との争いの末に主導したアフガニスタンやイラクでの自衛隊の現地支援があまりに消極的で非戦闘的だったので報道写真としての話題性に欠けたためだ。しかし、その後誕生した民主党政権は渡辺さんの期待とは逆の政策をとった。同業者の中には失望して自殺した者も出た。2010年の参院選では妥協して自民党に投票した。それでも山は動かなかった。

 「戦場カメラマンとして活躍できる年齢の限界が近づいている。再チャレンジのチャンスの無いままで私は一生を終えてしまうのか」。渡辺さんの表情には半ばあきらめの色が見て取れた。日本には現在渡辺さんのような失業中の戦場カメラマンが推定2万5千人いる。(文中仮名)
PR

コメント

コメントを書く